新城市の旅

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国道257号沿いにある、インパクトのある看板に引き寄せられて、長篠城址史跡保存館へ。

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あの強烈なオーラを出していたのは、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)。

武田軍に囲まれた、奥平貞昌守る長篠城を救うため、城を脱出し岡崎城に援軍の確約を得て城への帰途、武田軍に捕えられ「援軍は来ないと伝え降伏開城させたなら助命する」といわれ、城前に引き出された強右衛門は、「まもなく援軍来る!」と大声で城内に告げて城兵を勇気づけ、自身は、武田軍に処刑されました。

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少し見にくいですが、その当時の武将の年齢がまとめてあり気になったので。

 

共通券を買った、設楽原歴史資料館へ。

と、思って入ったら信玄塚でした。f:id:ohv1995:20230321071716j:imagef:id:ohv1995:20230321071503j:image

火縄銃がたくさん展示されてます。

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信玄撃ったとされるもの。

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元寇の手投げ爆弾、陶器製。

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世界最大の火縄銃、3メートル以上あります。

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織田信長が、戦争に火縄銃を大量に使用し戦い方を大きく変えたのが、設楽原の戦いで、強軍武田が敗北する事になったんですね。f:id:ohv1995:20230321072650j:imagef:id:ohv1995:20230321073149j:image

馬防柵や、鉄砲構え など作られたいました。

柵の建て方も織田信長徳川家康と違ってました。

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その後豊川沿いに走ると、さくらが咲いてました。

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旅館でしょうか、そのままの維持されていればよかったですね。